メル友
自動車損害保険と自賠責の保険金請求に関する物語です。
当時、私は市内から約1時間ほど山あいに入った、人口12,000人ほどの町にある中規模の住宅団地の営業をしていました。一応店長という肩書がありましたが、不動産会社のノルマはみな一律で、バブル経済崩壊後の後遺症のような仕入れの住宅団地で、骨身を削って売っても雀の涙のような歩合しかつかない、残念な商品です。山間の豪雪地帯に接しているのですが、高速道路のインターチェンジが近く、公社の開発した工業団地が3つも隣接する立地で、ここに勤める人をターゲットに開発されたものですが、車で30分で近くの政令指定都市から通える位置でもあるため、福祉を考えて皆さん、市の方にお住まいになられて全然売れない団地になり果ててしまいました。バブル期に仕入れてますので、すぐに商品化すれば平均分譲価格3500万円程度の飛ぶように売れる住宅団地になるはずでしたが、開発には少なくとも3年はかかり、バブル崩壊とともに凍結されていた用地の処分のための再開発なのですが、この地域で唯一の上下水道完備の住宅団地です。

折しも、運転中の携帯電話の使用禁止と反則金強化の改正道路交通法の施行があったばかりの頃で、当時は携帯電話そのものが珍しく、また、ながら運転も日常茶飯事です。
片手で咥えタバコをしながら、もう一方でジュースを飲みながら、シートベルトもほとんどせず、飲酒運転が少し厳しくなったかなあという、まだ大らかな時代でしたが、次第に国からの締め付けのような印象を受ける規制が増えた頃でしたね。
そのころインターネットを覚えたばかりの私は、家に回線があるわけでもなく会社でしかできなかったため、みんなが帰るまで残業するふりをして粘り、それからネットサーフィンを楽しんでいました。まだ、会社の者ですら、社員がどこのなんというサイトを見ているかなんて監視することを知らない時代と言いますか、何がしたくて世間のみんながインターネットなるものにハマっているのか、まだどこへ訪問していいのかわからないほどの初心者でしたから、思いついたのがクラッシック音楽を愛する人のサイトや、まだISDNがサービス開始になったばかりで、会社もダイヤルアップ回線で、いちいちカタカタカタとダイヤルを回すような擬音をさせてネットが繋がる環境でしたので、速度も遅く動画なんてもってのほかです。
こっそり衣服をまとわない女性のサイトなんぞに頻繁に訪問して画像を一所懸命にDLしてはフロッピーディスクに保存していました。今ではフロッピーディスクも死語でしょうか。「好きこその物の上手なれ」と昔の人はよく言ったものでDL画像欲しさに、わたしは一気にパソコンの扱いを覚えたものです。
それまではロータスというオフィススイートで表計算をするのがやっとで、Windows95の出現は画期的でした。キーボードの打ち込みは大学時代にワードプロセッサーで鍛えられていましたが、なにをどうすればこうなるといった基本的な操作が浦島太郎状態、逆にロータスの知識が邪魔をするようなガラパゴス隔離状態だったのでした。
少し前にはダイヤルQ2という電話で向こう側の人と話をして、その料金を1分100円とか時間制で支払うシステムの娯楽がありましたが、女性相手のコンテンツで若い社員がハマって、会社に30万円の請求がきてバレたというのも昔懐かしい話題です。
さて、ある日母校の大学のサイトがあることを知り覗いてみました。卒業してすでに10年以上経っていますので知っている人もいない。

教授も、もともと国立大学を定年退官したようなかたがやってこられるので、そんなに長くは在籍するはずもなく、ふと大学時代に入っていたサークルのプライベートHPを見つけます。
掲示板に、卒業生だと、しかも創立期のメンバーだと書き込んだら翌日管理人の女の子からレスがついていました。在校生以外はあまり見ないらしく、マンネリ化した掲示板だったのでよほど新鮮だったのでしょう。管理人の女の子は毎日私の書き込みに丁寧にレスをつけてくれました。
そのうちに、お互いに携帯のアドレスを教え合い携帯でメールをするようになりました。まだiモードの時代ですので1メール64文字のころです。それでも画期的な仕組みで、私が40代に差し掛かった頃に、10代の女子大生とメル友になったのでした。一昔前では考えられない事態です。なんだろう、若いのに波長が合う、真夜中のメールもざらでした。一日中メールをしている。会ったことのない恋人気分です。
私の若い頃はいわゆる文通。中学時代とかの雑誌の文通募集欄で良さそうな人を見つけて、工夫を凝らした手紙を送って、気に入られたら文通が始まる。難易度を上げると、国際郵便で海外の人とエアメール文通をする。
「あなた〜♪ か〜らの〜♪ エア〜メール〜♪」こんな歌がCMで流れていた世代です。
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