ヒューマンドキュメント生命保険編(8)

脱腸(ヘルニア)1

 食堂裂肛ヘルニアの形成術から5年後、わたしは、あいだで2度ほど転職をして、ハウスメーカーで住宅営業をしていました。

 もともと水に合ったのか、なかなかの成績で、結構な収入もいただいていました。

 ところで、食欲のほうですが、手術前より旺盛でした。

 今の会社に入社したばかりのころは、まだ歩合も入ってこず、有名な周知の事実ですが、ハウスメーカーや不動産営業の固定給は超安いですので、半年ばかりは切り詰めるばかりでした。

 しかし、夕方になると、おなかが空きすぎて、モデルハウスでお客様と商談をしていても、階段などでエネルギー切れを起こして意識を失いそうになったり、車を運転していて、手の震えが止まらなくなったり・・・ ⇒ これって、低血糖じゃないのという意見もありますが、夕方がわたしの鬼門でしたので、お昼にいかにたくさん食べておくかが課題でした。(今思えば逆効果のような気が・・・。)

 でも、最初のころはお金がなくて、同僚と一緒にランチに外に出ることはできませんでしたので、サランラップにご飯を載せるだけ載せて、塩を振って丸く包んだものを二つ三つ、これだけが私のお弁当でしたが、人に見られるのは恥ずかしいので、みんながご飯を食べに出て行ったのを見計らって、食堂でかぶりつくように一気食いしていました。貧乏板につく様です。

ラップに包んだしおむすびを食べていた
しおむすび

 とにかく、胃を膨らませることに全力を傾けて、接客中に倒れることがないようにしたつもりでした。給料もだんだん良くなり、欲しいものが買えるようになると、毎日お菓子パンを5個ぐらい買って出社するようになりました。夕方にモデルハウスにいる予定があるときはカップラーメンを、外に出ているとなにがしかおやつを食べるようになり、常に胃の中になにか入っている状態です。

 そのころから、私のおなかの胃のすぐ下あたりですから横隔膜付近でしょうか、ポッコリとこぶし大の膨らみが出てきだしました。指で押さえると凹み、離すと戻ります。ブヨンブヨンしていました。軟式テニスボールの感触です。

 そのころを境に、不定期で便通に異常が見られるようになってきたのです。

 あるときはひどい下痢、あるときはまったくの便秘。あなかの膨らみを押さえると、神経が伝わって膀胱のあたりまで刺激が伝達する。そうすると肛門のあたりで違和感を感じる。便秘の時はいいですが、出先で下痢になったときは大変、とにかくトイレを繋いで移動するようになります。

 なんだろうと思いながらも、3年ほど放置していました。

 私の所属する支店が、全国で第2位の成績を収めました。褒賞として、支店メンバー全員が西海岸への海外旅行となります。ハワイ以外海外に行ったことがありませんでしたので、プチ楽しみでしたが、いちばんの功労者が、元旅行代理店で海外添乗員の初老の男性でしたため、アメリカまで行く元気がないとして辞退しようとするので、本社の計らいで韓国旅行に変更になり、みんなで行くことになりました。

 最寄りの空港に集合して、飛行機はソウル仁川空港に向かいます。

羽田空港
羽田空港

 最寄りの空港に集合して、飛行機はソウル仁川空港に向かいます。ソウルと仁川の関係がよくわかっていない、仁川空港はアジアのハブ空港だと言われるだけあってスケールが半端ではない、海外の発展をまともに見る機会を得ました。韓国の経済発展はすさまじいものです。
 でも、日本でいう銀座の三越前の交差点のような場所で、目が釘付けになるほどスタイルの良い若い女性が、なぜか日本のコンビニで売っているようなおにぎりを食べながら、横断歩道をテクテク歩いている姿もあり、都会なのか、田舎なのか、都会から出てきた田舎娘が化粧をしているだけなのか、田舎でも日本の若い女の子が歩きながらおにぎりは食べないよなあというシチュエーションに出くわしました。

 韓国では、おにぎりが、日本のワッフルのような感覚だったのでしょうか。

都会の交差点
都会の交差点

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